旬の画像21年 No.25 赤間ヶ関街道中道筋(Ⅱ)・明治維新発祥の地 12月14日
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浜の宮山より東側に下った所に喜多平鉱山跡がありますが
現在は埋め立てられており鉱山跡の面影はありません
採掘当時は広さ縦100㍍、幅50㍍、深さは100㍍もあったようで
底に水平抗を掘って運び出していたようです
この喜多平鉱山では黄銅鉱、硫砒鉄鉱、菱亜鉛鉱、方鉛鉱を産出した所で
終戦直後、初代山口県知事だった田中竜夫氏の大号令のもと
県下のトラックを総動員して鉱石を搬出したそうです
今回参加していたU氏もその当時はガソリンの調達に走り回ったと話して居られました
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喜多平鉱山より南に下った県道との合流地点に赤間ヶ関街道と堪場道の分岐がある
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長登~絵堂間の県道沿いは小郡~萩、高速道路工事の最中
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赤間ヶ関街道もトンネルの真上を通っており
無くならなくて済みそうだ
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県道から外れて再び赤間ヶ関街道へ
街道の側にはボタンクサギの群落が見られ
夏の花盛りの頃は綺麗であろう
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街道筋から北側の林内に降りると喜多平鉱山から鉱石を運び出した水平抗跡があり
現在は抗口は潰れており抗口付近にある石組みが残っているだけである
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慶応元年(1865年)1月7日朝2時に始まった大田絵堂の戦いは
諸隊と萩の政府軍の内輪もめから起こった内乱でしたが
この戦いが明治維新へとつながり、近代日本誕生の足がかりになったのである
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大田絵堂の戦いの時、政府軍(俗論党)の本陣に撃ち込まれた銃弾の痕が残る門柱
本陣跡は矢印付近にあったのだが現在は戦役記念碑のある場所へ移動されている
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高杉晋作や坂本竜馬たちも歩いただろう赤間ヶ関街道中道筋
少しトラブルがあったものの無事終了
会員の皆様お疲れさまでした
撮影 12月13日
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